【おさんぽ】ちぃちゃんの大冒険
ある春の日の午後、4歳になるちぃちゃんはお昼ご飯を済ませると、きちんと「ごちそうさま」をしてからかばんを肩からかけ、予定通りお出かけの準備を済ませた。
「あら。ちぃちゃんどこいくの?」
その様子を見たお母さんは、リビングから出て行こうとするちぃちゃんを呼び止めて言いました。
「ちょっとそこまでおさんぽー」
「今日は、おばあちゃんの家にいくんだから。遅くなっちゃだめよ」
「はーい。わかってるー」
そう言うとちぃちゃんは、廊下をトタトタと走り、玄関へたどりつくと、赤い小さなくつをしっかりと履きマジックテープで止め、玄関を出てドアを閉めると、車庫の奥においてある三輪車をひっぱり出した。
「よし。しゅぱーつ」
午後の暖かい日差しに見守られながら、ちぃちゃんは愛車のみぃちゃん(三輪車)にまたがると、元気よく宣言し家を出発したのだった。
なぜなら、今日はちぃちゃんにとって一大イベントの日だったからです。
今日は、隣町に住むおばあちゃんの誕生日。小さいころから、たくさんちぃちゃんをかわいがってくれた大好きなおばあちゃんです。そのおばあちゃんに、内緒でお花を買って届けなくてはいけない。
おばあちゃんは、いつもおもちゃやお菓子を買ってくれるから、今日は自分がお返しをしてあげるのだ。
「ちぃはもう大人だから。お買い物もお届けものも一人で出来るよね!」
そうして誰にも内緒にしていたこのケーカクは、随分前からニューネンな準備をし、決行日となった訳である。
ちぃちゃんが、家を出て少し進むと、近所の公園に着いた。
ここは普段からの遊び場で、みぃちゃんといつも来ている。
お母さんは、今もここで遊んでいると思っているはずだ。
しかし、今日のちぃちゃんには別の目的があった。
「みぃちゃんはここで待っててね」
ちぃちゃんはそう言うと、公園にある遊具用の山に登り、てっぺんから公園の景色を見渡してから、とっておきのチョコレートかばんから取り出した。
この間みたテレビでは、チョコレートは山の上で食べると「ヒジョーショク」というものになるらしい。
「ヒジョーショクってなーに?」
テレビを見ながらそう問いかけたちぃちゃんに、お父さんは、
「何かあったときの、特別な食べ物だよ」
と、教えてくれた。
特別な食べ物なら、きっとおいしいに違いない。
ちぃちゃんは、期待を込めた目で手の中のチョコを見つめた。
キャンディのように、金色のセロファンでくるまれた一口サイズのチョコレートは、両端をひっぱると、くるっと回って中から丸い塊が顔を出す。
ちぃちゃんは、小さな指で小さなチョコをつまむと、わくわくしながら口の中へほうりこみ、目を閉じてゆっくりと味わった。
「うん。とってもおいしい」
青空の下、高い山のてんっぺんで食べるチョコレートは、やっぱり特別な味がする。
遊具用の小さな山の上で、ちぃちゃんは、特別な味をもう2個だけ景色を眺めながら堪能した。
残りの3個はおばあちゃんにあげて、一緒にまたここで食べよう。
小さな決意を新たに、次なる使命にたちむかうべく立ち上がると、ちぃちゃんは滑り台から颯爽と滑り下りていった。
公園から大きな通りへ出てしばらく進むと、駅の近くにある商店街へたどりついた。
ここは、お母さんのお買い物で何度かきたことがあって、よく知っている場所だ。
いつもお買い物をする大きなスーパーの横には、軒先に沢山の花を並べたお花屋さんがある。
ちぃちゃんはお花屋さんの前に愛車を止めると
「みぃちゃん。お花買ってくるからまっててね」
そう言ってみぃちゃんに待っててもらい、お店の中へ入っていった。
「ごめんくださーい」
「いらっしゃい。おやまぁ可愛いお嬢ちゃんだこと」
奥から出てきたのは、茶色いニット帽をかぶったおじいさんだった。
白いひげが生えていてとても良く似合っている。
「あのね。おばーちゃんの誕生日にお花をあげるの。だから花束を1つください」
「ほう。それはえらいねぇ」
おじいさんは言ったが、ふと気づいてちぃちゃんに聞く。
「おじょうちゃん。おとうさんか。おかあさんは一緒じゃないのかい?」
「おとうさんと、おかあさんと、おばあちゃんには内緒なの。びっくりさせるんだ」
「でも一人で、大丈夫かい?」
「ちぃはもう4才で大人だから、お買い物もお届けものも全部一人で出来るから大丈夫だよ」
自信満々の顔でちぃちゃんは答えた。
おじいさんは困った顔をして考えていたが、少しして何かを思いついたように、こう言った。
「そうだ。お花には、お誕生日のカードをつけなくっちゃあね」
「カード?」
ちぃちゃんは聞き返した。
「そうだよ。おばあちゃんに『お誕生日おめでとう』って書いて付けてあげるんだよ。おじさんが書いてあげるから、よかったら、お嬢ちゃんのお名前教えてくれるかな?」
「んーとねぇ。これ」
そう言って差し出したかばんには、ひらがなでこう書いてあった。
(かやま・ちなつ)
「ちなつちゃんか。いい名前だね」
「うん。お父さんとお母さんは、ちぃちゃんって呼ぶよ」
「そうか。じゃ、お花を選んであげよう。ちぃちゃんはソコに座って待っていておくれ。おい…」
最後にかけた言葉は店の奥に向けてのものだったが、奥からでてきたおばあさんは、ちぃちゃんを見るなりおじいさんと同じようなことを言った。
「まぁまぁかわいらしいお嬢さんだこと。今日はおつかい?」
「プレゼント用のカードを書いてあげておくれ。あと…」
おじいさんが、おばあさんに何か小声で言うと、おばあさんは一度奥へひっこんでしまった。
ちぃちゃんは気にする風もなく、おじいさんがガラスのケースからいろんな花を取り出しては、ハサミで切って大きさをそろえていくのを眺めていた。
「おばあちゃんね。お花が大好きで庭にもいっぱいお花があるの」
大人用のイスに座って足をぶらぶらさせながら、ちぃちゃんは上機嫌で言った。
「ほう。そうなのかい?おじさんもお花大好きだから、一度そのお庭を見てみたいなぁ」
「いいよ。ちぃが案内してあげるから、今度一緒に見にいこうよ」
「それは嬉しいな。ぜひ連れてってもらうよ」
そう言いながらも、おじいさんは、束ねた花の根元を輪ゴムで縛り、白いのや虹色に光るセロファンを花束に巻いて、持ち手の部分にピンクのリボンを巻いていく。
最後に手でちょいちょいと形を整えると、ちょうどおばあさんが戻ってきた。
手にはクマの絵柄のついた小さなカードを持っている。
「はい。これをつけてあげましょうね」
手渡されたカードには、ちぃちゃんの読めない文字がいっぱい書いてあった。
「『おたんじょうびおめでとう ちなつ』って書いてあるのよ」
おばあさんが教えてくれて、最後にセロハンテープでカードを花束に付ける。
「はい。おまちどうさま」
おじいさんが、花束をちぃちゃんに手渡した。
「わぁ。キレイー」
ちぃちゃんが持ちやすいようにと、小さく作られた花束は、たくさんのカスミ草の中に、色とりどりの小さなバラ、それになんだかよくわかんないけど、チョウチョに似た黄色とピンクの花も入っていてとてもきれいだった。
「これで足りる?」
ちぃちゃんは、かばんからお財布を取り出すと、今日のために貯めておいたお小遣いをひっくり返して取り出した。
たくさんの小銭が乗った両手をおじいさんに差し出す。
「足りるとも。今日はちぃちゃんのおばあさんの誕生日で大サービスだ」
そう言うと、おじいさんはちぃちゃんの手の中から、百円玉を1枚だけ取り上げると、にっこり笑ってそう言った。
「毎度ありがとうございます。今度はおばあさんと一緒にお花を買いにいらっしゃい」
「うん。ありがとう、おじいちゃん。おばあちゃん。またねー」
「気をつけてね。おばあちゃんによろしく」
お店のおじいさんとおばあさんに見送られながら、ちぃちゃんは元気よくペダルをこぎだした。
みぃちゃんの小さなカゴに小さな花束を入れて。
おばあちゃんの家に行くには、商店街から大通りに出て大きなおもちゃ屋さんのある角を曲がってまっすぐ進めば良い。
大通りは車もいっぱい走っているが、広い歩道もある。
目標のおもちゃ屋さんは、ちぃが三歳になったときにみぃちゃんと出逢った思い出のおもちゃ屋さんだ。
「ちぃちゃんは、【ちなつ】でちぃちゃんでしょ?みぃちゃんはなんてお名前でみぃちゃんなの?」
ちぃちゃんが、みぃちゃんを命名した時に、お母さんに聞かれたことがある。その時ちぃはこう言ったのだ。
「みぃちゃんは、みぃちゃんだからみぃちゃんなの!」
それ以来みぃちゃんは、ずっとちぃちゃんの愛車として、公園に行く時にもお友達のさっちゃんの家に行く時にも、ちぃちゃんの大事なパートナーとして一緒に行動することになったのだ。
いくつ目かの信号を超えた先に、目標のおもちゃ屋さんが見えてきた。
中からはいつもの楽しげな音楽が流れている。
駐車場には何台かの車がとまっていて、手前に駐車してあったの車のボンネットの上では春の日差しの中、1匹の黒猫がのんびりとひなたぼっこをしていた。
「ねこさんこんにちわ」
話しかけられたネコは、一度おおきなあくびをで返事を返す。
「ひなたぼっこ?車のうえってあったかいの?」
ちぃちゃんは、みぃちゃんを駐車場のはじっこに止めると、車の前まで行って背伸びをし、ボンネットの上のネコをなではじめた。
「今日ちぃはね、おばあちゃんのとこに行くんだ。おもちゃ屋さんまでこれたから、ちょっと今はきゅうけいしてるの」
いきなり始まってしまった休憩だが、この時、ちぃちゃんを遠くから見守る1人の人影があった。
見つからないようにと、通りの向こう側から見つめていた女性は、ちぃちゃんのお母さんだった。
花屋から電話で連絡をもらったお母さんは、とりあえず花屋に向かい、ひとしきりお礼を言ってから代金を支払おうとしたのだが、
「代金はちゃんと頂きましたよ。十分にね。代わりと言うわけではありませんがよろしければ、お嬢さんに最後まで一人で届けさせてあげてはくれませんか?」
おじいさんとおばあさんの言葉に促され、それでも心配になって後を追ってきて、ようやくここで見つけることが出来たのだ。
ふいの寄り道を心配そうに見つめる母親の先で、少し強い春の風がちぃちゃんとネコに吹きつけた。
(ぷしゅん)
ネコが小さなくしゃみをする。びっくりしたちぃちゃんは、手をひっこめた。
「ねこさんもカフンショー?おとうさんもカフンショーって言ってよくくしゃみするよ。お茶がいいんだって。ねこさんも飲めればいいのにね」
そう言ってまたネコをなではじめる。
しかし、この時お母さんは見ていた。風にあおられて三輪車のカゴから舞い飛んだ1枚のカードを。
カードはおもちゃ屋の店舗のほうへ飛んでいくと、店の表に並べてあった子供用の車の下へ滑るように落ちて見えなくなってしまった。
わが子の成長を影から見守りたい母親だったが、心配と不安は増すばかりだった。
「ない!」
十分にネコを撫でまわし、休憩を終えたちぃちゃんだったが、出発しようとしてみぃちゃんにまたがった時、カゴの中の花束からカードがなくなっている事に気がついた。
「おばあちゃんのカードがない。ネコさんしらない?」
しかし、ネコは当然のように知らない顔をすると、尻尾を一回パタンと振る。
ちぃちゃんは、みぃちゃんの周りをしばらく探してみたが、飛んでいったカードを見つけることは出来なかった。
お花屋さんのおばあちゃんに書いてもらった大事なカードがない。
ちぃちゃんは、みぃちゃんの横に突っ立って花束を見つめたまま、口をヘの字にまげ眉間にシワを寄せて今にも泣き出しそうになってしまった。
「お嬢ちゃん。どうしたの?」
突然かけられた声に振り返ると、黄色いエプロンをつけたおもちゃ屋さんのおねえさんが、店の入り口に立っていた。
「あのね。あのね。さっきまでこのお花にカードがついていたの」
ちぃちゃんはしゃべりだした。
「でもね。ねこさんとお話しして、終わって見てみたらカードがなくなっていたの。今日はおばあちゃんの誕生日で、おめでとうって書いてあるカードなのに、なくなってたの…」
ちぃちゃんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
それを見ていたおねえさんは、エプロンのポケットからハンカチを取り出すと、ちぃちゃんの前にしゃがんで涙を拭いてあげながらこう言った。
「わかった。おねえさんも一緒にカード探してあげるから、泣かないで。ねっ」
「…うん」
ほどなくして、カードは見つかった。
まるで落ちていた場所を知っていたかのように、おねえさんが見つけたカードは、地面に落ちていたせいか、テープのところにホコリがついて汚れてしまっていた。
「テープ、汚れちゃっててくっつかないね」
そう言うおねえさんに、最初は喜んでいたちぃちゃんだったが、また少し悲しそうな顔をする。
「そうだ、ちょっとまっててね」
ちぃちゃんをその場に残し、おねえさんはお店の中に戻ると、手に何かを持って戻ってきた。
「これでくっつくかな?…よし、出来た!」
「わぁ!」
見ると花束には、赤いリボンの付いた金色のシールでカードがしっかりとくっつけてあった。
さっきまでの泣き顔はドコへやら、ちぃちゃんはそれをみて「すごい!きれい!」を何度も繰り返した。
「ありがとう。おねえさん」
「気をつけてね。もう寄り道しちゃだめよ」
本日2度目のお見送りを受けて、ちぃちゃんは再び元気にこぎだした。
少しして、おもちゃ屋さんの出口から1人の女性が出てきた。
何度も何度も店員さんに頭をさげてから、お店を後にする。
そうして、遠くに見える小さな三輪車の影を、みつからないように再び後を追っていくのだった。
そんな事があったとは、まったく知る由もなく、ちぃちゃんとみぃちゃんは頑張って先を進んでいく。
こんなにたくさん、みぃちゃんに乗っていたことはなかったので、ちぃちゃんはかなり疲れていた。
でも、カゴの中を見れば元気が出てくる。
お花屋さんの作ってくれたキレイな花束と、おねえさんが付けてくれたカード。おばあちゃんはどんなに喜んでくれるだろう。
そう考えただけで、うれしくなりペダルをこぐ足にもまた力が入った。
見ると、出発した時はあんなに高くにあった太陽が、かなり傾いていた。
「もうちょっとだよ。みぃちゃん。がんばろーね」
愛車をねぎらいつつもしばらく進むと、青い三角屋根の見覚えのある家がみえてきた。おばあちゃんの家だ。
おばあちゃんは、ちょうど庭でお花に水をあげている所で、その姿がみえた。
「おばあちゃーん」
ちぃちゃんは、みぃちゃんを一生懸命こぎながら手を振る。
おばあちゃんもびっくりした様子だったが、ちぃちゃんに向けて手を振ってくれた。
……こうして、ちいちゃんの小さな大冒険はようやく終わりを告げた。
次の日の午後、ちいちゃんはおばあちゃんを誘って、あの公園の山の上に二人で座っていた。
昨日は、お父さんもお母さんもおばあちゃんも、みんなびっくりして、喜んでくれて、ちぃの事を褒めてくれて、大満足の一日だった。
おばあちゃんの膝のうえにちょこんと座ったちいちゃんは、笑顔でおばあちゃんにこう聞いた。
「…ねぇおばあちゃん。ヒジョーショクってしってる?」
今日もきっといいことがいっぱいある。
大好きなおばあちゃんの膝の上でちぃちゃんはそう思った。