あをぎりの小さなおはなし

つれづれなるままにその日暮らし…

【短編】部屋と鍵と

 海の近くの高台にあるアパート。その二階の一室に、麻衣子は一人で座っていた。
 がらんどうの室内に家具などは一切なく、南側の開け放った窓からは、初夏特有の心地よい潮風が吹いてくる。
 膝を立てて、壁に背をもたれて座ったまま、8畳1Kの狭いアパートをぐるっと見回すと、麻衣子はつぶやいた。
「きれいさっぱり、何にもなくなっちゃったなぁ」
 新しい会社へは来週からの出勤だから、今日は一日、もうなにもしなくてもいいはずだ。
 部屋の荷物は昨日、引越し屋さんが全部持っていっちゃったし、役所関係の届出も今日の午前中に全て終わらせた。
 後は、この鍵を大家さんに返して、田舎に帰ればここでの生活は全て終わるのだ。
 麻衣子が左手を持ち上げてみると、人差し指に通したリングの下で、2本の鍵が揺れていた。
 ごく普通のアパートの鍵と、スヌーピーのアクセサリのついた鍵。
 一本は麻衣子の、もう一本は和志のものだった鍵だ。
 そういえば、この部屋を決めたのは、和志だった。

「今日さ、二人で住むアパートみつけてきたんだ。海がすぐそばだし、駅からも近くってさ。きっと麻衣子も気に入ると思うんだ」
 安っぽい居酒屋のテーブルに向かい合い、息をはずませながら和志がそういったのは、三年前の夏のことだ。
 大学で知り合って一年が経ち、二人で暮らすことにも何にも疑問を抱かなかったあの頃。
 小高い丘の上に建ったアパートは、南向きのベランダから見下ろすと、手前に江ノ島電鉄が走っていて、その向こうに国道、さらに向こうに砂浜の広がる海が一望できた。
 鎌倉からもほど近く、古くからの町並みが沢山残っていて、自然も多い。近くにお寺なんかもあって、麻衣子もすぐに気に入った。

「お、こんなところに商店街が」
 引っ越して始めての週末に、散歩に出かけた二人。
 散策もかねて古い町並みの中に入って行ったときに、和志が商店街を発見したのだ。
「わー安い。ねぇねぇ、ほうれん草が98円だって」
「んなこといっても、オレにはわかんねぇよ」
 たまたま見つけた商店街は小規模だったが、地元の野菜やお魚が格安で売られていた。料理の得意な麻衣子は、足しげく商店街に通っては特売品を見つけ、二人の夕食は、毎日にぎやかなものになっていった。

 和志の言ったように、海もスグ近くだった。丘を降りて線路と国道を越えると、ものの5分で海岸まで行ける。
 夏には海まで降りていって二人で花火もした。
「おい麻衣子、やめろってば」
 夏のある夜、コンビニで買い込んだ缶ビールと花火を片手に、麻衣子と和志は砂浜まで降りていった。
 冗談半分で、花火をもって麻衣子を追いかけまわす和志に、麻衣子も対抗し、花火片手に和志を追いかける。
 これがTVのドラマなら、画面の下に字幕で「花火で遊ぶのは危険です。よい子はまねしないでね」とでもテロップが流れそうなものだが、ビールが入った二人にはそんなことは関係ない。笑いながら追いかけ回した最後には、和志が足をもつれさせて波に突っ込むというオチまでついた。
 びしょ濡れの和志を見て、もう一度大笑いする麻衣子。
 それからはおとなしく花火を堪能して、アパートに戻ったのだが、あの騒ぎのさなかに、麻衣子は鍵を落としてしまっていた。
「オレ、ちょっと行って見てみるよ」
 自分の鍵を麻衣子に渡して、和志は言う。
「え?和志、濡れたままなのに。着替えは?」
「いいよ後で、風呂だけお湯溜めておいて」
 しばらくして、和志が戻ってきたのだが、鍵は結局みつからなかった。
 麻衣子は、自分ももう一度探しに行くと言い張ったのだが、もう遅いし暗いからと、和志に止められた。
 明日の朝もう一度海岸に降りて探してみて、それでも見つからなかったらあきらめて、前から予定していた外出ついでにスペアを作る。
 そういうことで、話は落ち着いたのだが、麻衣子にはなんだか納得がいかなかった。
「この間も携帯なくしたし。おまえスグなんか無くすよなー」
 風呂からあがって、タオルで頭を拭きながら、ぶつぶつ言い続ける和志に
「もう!そうは言っても、半分は和志のせいじゃん!」
 少しふてくされた麻衣子は、そう言い返して勢いよく立ち上がる。
「おい。どこ行くんだよ」
 びっくりして尋ねる和志に、麻衣子は不機嫌そうに一言だけ言った。
「お・ふ・ろ!」
 
 次の日の朝、和志は鍵を探しに行ってくれたのだが、しばらくして昨日の夜と同じ顔をして帰ってきた。
「しょうがない、出かけよっか」
 明日誕生日の麻衣子のために、今日はデートの日と以前から決まっていた。
 ついでが一つ増えてしまったものの、昨日の不機嫌はどこへやら、外出の準備を始める麻衣子の耳に和志の「やれやれ」と言う声が聞こえた。

 最近のドラッグストアは何でも売っている。大学近くのこのドラッグストアでは、鍵屋さんが出店していて、靴の修理やスペアキーの作成をしていたのを、麻衣子は覚えていた。
「あ、あったあった」
 麻衣子がお目当ての店に駆け寄ると、店先には合鍵用のキーがずらっと置いてあって、なかには、キャラクターが付いたのだとか、変わったデザインの鍵も沢山あった。
「これかわいい!」
麻衣子が、スヌーピーの飾りの付いた鍵を手にとって眺めていると
「おまえ、そんなの好きだからなぁ」
後ろからきた、和志がいった。
「こっちので二千円かぁ、まぁいいよ。誕生日プレゼントで。おまえって絶対大事なものなくすけど、これならなくさないだろ」
「もうー。そんなことないってば」
 ふくれっ面で言い返し、和志の鍵をかりると、店先に座っていたおじさんに。
「これのスペア、このスヌーピーのでお願いします」
 と、手渡した。
 おじさんはそばにあった機械に、慣れた手つきで、鍵2本をセットすると、スイッチを入れる。
 グラインダーが音をたてて周りだし、機械についていたハンドルをぐるぐる回すと、鍵のでこぼこに沿って機械がスライドし、新しい鍵を削っていく。
 興味深々で見ていた麻衣子の前で、あっという間にスペアキーが出来上がってしまった。
「はい。二千円ね」
 出来上がったばかりの鍵に軽くやすりをかけてから、クリーム色の小さな紙袋に入れ、
おじさんは手渡してくれた。
「ありがとう」
 そう言って麻衣子は受け取った。
 うん。なくしてしまったものは、しょうがない。でも、そのおかげでなんだか新しい、良いものが手に入った。
 そんな気持ちだった。
 ついでに、ロフトにもよって、かわいいクマのマスコットを買い、新しい鍵にさっそくつける。
 麻衣子は、ますますの上機嫌だった。

「お料理、おいしかったねー」
 映画を観てから、ひさしぶりの外食もすませ、麻衣子はそう言った。
 駅を降りてアパートまでの帰り道、夜遅くとはいえ、その日は月が出ていて明るかった。
「ちぇ。こっちはとんだ散財だよ」
 結局、今日の勘定を全てもたされてしまった和志は、ぼやきながらそう言う。
「誕生日、誕生日!麻衣子様は、明日で21歳であるぞよ」
 お酒も入っているせいか、うかれ気分で麻衣子は胸をはる。
「まーた調子にのって。オレの誕生日には、もっといいもの買ってもらうからな」
「いいよー。あ、そうだ、和志にも買ってあげるよ鍵。チャーリーブラウンのやつ。あそこにあったでしょ?」
 出来上がったばかりの、スヌーピーの付いた鍵をバックから取り出し、和志の前でチャラチャラさせながら、麻衣子は言う。
「いいってば、オレ大事なモノはなくさないもん」
「また、そんなこと言ってー。もし和志が鍵なくしたら、一生文句言い続けてやる」
 そんな会話を交わしながら歩いてていると、向こうのに延びる線路の上を、電車が走って過ぎていった。
 カタンカタンカタンカタン
「あと、もうちょっとか」
 過ぎ去って行く電車を眺めながら、和志がつぶやく。
「ん?なにが?」
 訳がわからず、聞いた麻衣子に
「まぁその、ちょっと早いんだけど…」
 そう言って少し照れながら、和志は麻衣子にキスをして言った。
「誕生日。おめでとう」

 カタンカタンカタンカタン
 ふいに窓の外から聞こえてきた電車の音が、麻衣子を現実に引き戻した。
 このくらいの時間だと、鎌倉行きの電車かな…
 それもまた、麻衣子にとっても長い間に身についてしまった習慣だ。

 毎晩、夜の0時前には、最後の電車が江ノ島へむけて走っていく。
「おやすみなさい」
 そう言って、電灯を消す。
 それがいつもの就寝の合図だった。

 朝は麻衣子のほうがいつも先に起きた。
 顔を洗って、歯を磨いて、身支度を整えると、まだベッドで寝ている和志を起こす。
「和志。まだ起きなくていいの?」
「ん…今日は昼からだからまだ寝る…目覚ましかけといて」
「わかった。あたし、今日は遅いからごはんは適当にね」
 昔ながらの、ディズニーキャラクターの指針目覚まし時計の針を、ぐりぐりお昼の時間にセットしながら麻衣子が言う。麻衣子がこっちへ来るときに実家から持ってきたものだ。
「あい、いってらっしゃい…」
 もう一度布団をあたまからかぶる和志。
 麻衣子は、玄関に向かうと、玄関脇の小さなシューボードに付いたフックから自分の鍵を手に取った。隣のフックには和志の鍵がぶらさがっている。
「いってきます」
 たぶん聞いてはいないだろう和志にそう言うと、麻衣子は鍵を閉めて、いつものように学校へ出かけていくのだった。

 …そんな、毎日がいつまでも続くと、あの頃は、そう思っていた。
 鍵を見つめる麻衣子の横を、もう一度潮風が吹きぬける。

 和志とのことは、なんとなくそうなる気はしていた。
 いつの頃からだったのかはわからないけど、いつの間にかそんな気がしていたある日、麻衣子がアパートへ帰ると、テーブルの上には一枚のメモと、一本の鍵が置いてあった。
 「別れよう」って、メモにはそれだけが書いてあった。
 後から聞いた話だと、新入生で入ったサークルの子と、付き合っていたらしい。
 悲しかったりだとか、そんなことはなかったけれど、それでもしばらくの間、麻衣子の毎日はカラッポだった。

 あれから、もう一年以上が経つ。
 大学も卒業できたけど、これと言って就職する気にもなれず、麻衣子は一人でフリーターをやっていた。
 毎日はなんとなく、それでも忙しく過ぎていって、季節だけが変わっていく。
「あたし、いったい何をしてるんだろう?」
 自分ひとりが、何かに取り残されている気分になっていた時、久しぶりにかかってきたのは、母からの電話だった。
 同級生の里美は、早くから結婚して、もう二人も子供がいるらしい。
 隣の高畑さんとこの望君は、地元の大学に通いながら、母の言うナンタラ士の資格を取るために、猛勉強中だそうだ。
 あれこれと、久しぶりに聞く地元の話題に、
(アベ商店のおばあちゃん元気かな?帰ったらまた駄菓子を買いにいかなきゃ)
 ふと麻衣子がそんな事を考えていると
『お父さんも最近病気がちで体も弱くなって何だしさぁ。』
 母が言った
『麻衣子、こっちに帰ってこないかい?』

 帰ることが決まった翌週には、もう麻衣子の就職まで決まっていた。
 地元の介護関係の会社で、コンピュータも使える人が欲しかったらしく、さすがに田舎といわんばかりに、コネだけで両親が話をつけてしまっていた。
 それから引越しの手続きやら、バイトの引継ぎやらで、毎日がどたばたしていたのだが、やっと昨日全てを終えて、今日を迎えたのだ。

 今日は、近所に住む大家さんに、昨日引越し作業が遅くなって渡せたかった鍵を返し、それだけで帰ってしまってもよかったのだが、なんとなくの衝動に駆られて、もう空っぽになってしまった部屋に入ってみた。
 カーテンもない窓を全て開けて、外の景色を眺めてみる。
 そういえば、もうすぐ本格的な夏がやってくる。

 座ったままの麻衣子が、もう一度部屋の中を見回してみると、壁についたキズが目にとまった。
 確か、和志が酔っ払ってギターを持ってはしゃいだ時に、壁にぶつかって付けたキズだ。
 あの頃は、誰かれなくサークルの友達とかが、毎晩のように押しかけてきて、いつもお祭り騒ぎだった。
(…隣から苦情が出たこともあったっけ)
 嬉しかったことも、悲しかったことも、楽しかったことも、つらかったことも…
 全てココで起きて、過ぎ去っていったことだ。
「楽しかったなぁ」
 全てをかみ締めて、麻衣子はぽつんとつぶやいた。

 カタンカタンカタンカタン
 何度目かの電車がまた、窓の外を走りぬけてゆく。

 麻衣子は立ち上がると、ベランダへの窓を閉め、玄関へ向かった。
 毎日そうしていたように靴を履き紐を結ぶと、外に出てドアを閉め
「ありがとうね」
 そう言って、鍵をかけた。
 麻衣子は、スヌーピーのついた鍵をキーリングからはずすと、両手で持ってじっと見つめ、もう一度同じ言葉を小さくつぶやいてから、新聞受けの中へコトンと落とした。
 夕暮れ時の湘南には、初夏を告げる風がまだ吹き渡っている。
 心地よい春の風を感じながら、麻衣子はアパートの階段をゆっくりと降りていった。

 -----------あとがき-----------

これは昔、小説公募に応募して落ちたやつです(・∀・)

拙い所多々なのと、今思えばとある固有名詞でアウトだったかなと思う作品。

お題は「鍵」にまつわるものについてでした。早くカテゴリ埋めなきゃで本日投下。

(掲載分&文ないと予約じゃカテゴリ表示されないのどうにかしてほしい;)

お時間つぶしにでもなれば幸いです。

それでは、読んでくれた全ての方へ感謝を込めて(-人ー)


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