【わんこばなし】コロとの思い出
私が初めてコロと会ったのは小学校2年生の初夏の頃でした。
母がママさんバレーのお友達からもらったという、仔犬は黒い柴犬で、小さなダンボールから出した顔は、覗きこんでいる父と母と私を、少し不安そうな顔で見ていました。
「今日から、佳澄がこの子のママになるんだから、ちゃんと面倒みないとね」
「うん。わかった」
母にそう言われて答えると、私は仔犬を箱から抱き上げ、抱きしめました。
今思えば、下手くそな抱き方でしたが、苦しくなかったようで、しきりと私のあごのあたりを舐めまわし、とてもくすぐったかのを覚えています。
「よかったな。佳澄」
「うん」
父の言葉に、私は答えました。
「名前はもう決めたのか?」
「まだー」
仔犬とにらめっこしながら、名前を一生懸命考えていると父が言いました。
「この子、マロだからマロにしよっか?」
「マロってなーに?」
「あ・な・た!」
その時の私には訳も判らず、父は母に怒られていました。
そうして、ようやく決まった名前は「コロ」でした。
何かのTV番組で見た犬の名前でしたが、多少は父の「マロ」が心にひっかかっていたのかもしれません。
「はいはい。それじゃ、そろそろご飯にしましょう」
母が言うと、父がそれをさえぎりました。
「ママ。その前に記念写真。あと、ケーキ!ケーキ!」
この手のイベント事が大好きな父は、デジカメを取り出すと、オートタイマーにして写真を撮りました。
「はい。チーズ」
ロウソクの灯ったケーキを笑顔で囲む父と母と私。
きょとんとした顔のコロ。
私の7歳の誕生日の記念写真は、今でも大切にアルバムに保存されています。
コロは1歳近くまで、私の部屋で私と一緒に寝ていました。
あまり人見知りをするほうではなかったのですが、それでも始めの数日は、環境に慣れていなかったせいか
朝には、部屋の隅におかれたケージの中で寝ている事が多くありました。
しかし1週間が経ち10日もすると、当時の私はママの気満々でしたが、姉弟のように仲良くなっていました。
「コロ。おいで」
私がそう言って布団をめくると、コロはベッドにぴょこんと飛び乗ってきます。
私の腕枕がコロのお気に入りです。
コロの暖かさと、寝息の音はいつしか私の子守唄になっていました。
若い時のコロはとても元気で活発な男の子でした。
散歩大好き。他の生き物大好き。近くの原っぱが大好き。パパ大好き。ママ大好き。そして私が大好きでした。
他の犬や猫はそうでもないのですが、見慣れない生き物だと興奮するらしく。
見つけるとダッシュするか吠えまくります。
散歩に行く途中に小川があるのですが、一度そこでひなたぼっこをしている亀をみつけ、吠えたあとに即座に小川へダイブ。
リードを持った小学生の私も、引っ張られて小川へダイブ。
泣いてしまった私を、本当に「ごめんなさい」って言う顔でずっと見ていたコロも今では私の思い出のひとつです。
原っぱでのボール遊びも大好きでした。
散歩のお決まりのコースは、家を出てから小川沿いの道を進み、海にも程近い何かの建設予定地になっていた原っぱです。
ボールを投げてはコロが取ってくるお決まりの遊びですが、こちらがヘトヘトになってもコロが飽きる…ことはほとんどなく、コロが満足するか、喉が渇いたら、その横ある児童公園で、お水をあげて休憩するのが定番でした。
公園にはベンチもありましたが、直射日光が当たる場所にあったので、もっぱらの休憩場所は木陰のある芝生の上。
甘えん坊のコロは、ハアハアいいながら、座った私のひざにちょこんと頭をのせてひざまくら。
そうして息が落ち着いた頃に、必ず私を見上げます。
目が合うと、コロンと仰向けになっておなかをみせ『なでて♪』のポーズです。
ママはしょうがないので、甘えん坊に尽くしてやり。
「よし。じゃそろそろ帰ろうか」
そう宣言してから、家路につきます。
こんな日がずっと続いていました。
私が中学校を卒業しようかという時、父と母の仲が悪くなったことがあります。
毎日のように喧嘩をしては、父が数日家に戻らないこともありました。
学生だった私に不仲の理由を知るすべもありませんでしたが、その時の両親はお互いに疲れきっているようにしか見えませんでした。
ある日、私が学校から帰ると、早い時間にも関わらず父も母も家にいて、呼び止められた私は、テーブルにつきました。
「お父さんと話し合った結果なんだけど…」
母は話し始めました。
父と母は離婚をするつもりであること。
そうなるとどちらかはこの家から出て行く事になるが、父と母どちらについていくかは、私の判断に任せる。
全て父と母が悪いのだから、私に責任はなく、どちらについていってもかまわないと。
父は、母がしゃべっている間一言も話すことはありませんでした。
ただ私は、頭の中が真っ白というよりは、考えがぐるぐると回ってしまい、何も言うことができませんでした。
「今すぐ答えを聞こうとは思わないので、よく考えておいて」
最後に言った母の言葉に、
「私、コロを散歩につれていかなきゃ」
そう言うことしかできませんでした。
いつもと同じ散歩道。いつもと同じ原っぱ。
でも。私には、まったく違う風景に見えました。
私は、いつものようにボールを投げたのですが、なぜかコロがうごきません。
座ったまま私のほうを、心配そうな顔つきでじーっと見ていました。
『ああ。やっぱりコロにもわかっちゃうのか』
そう思った時に、私の目からは、涙がこぼれ落ちました。
私は、もうどうしていいのか判らず、その場にしゃがみこんでしまいました。
コロは私の後ろへ歩いていくと、寄りそうように背中を合わせ、もたれかかってじっとしていました。
気が付くと私は、コロを抱きしめ、泣いていました。
しばらくしてから、コロと一緒にボールを拾いに行き、いつもの芝生の上で一緒に座っていました。
春の日の夕暮れは、日が落ちるのも早く、辺りはもうすっかり暗くなり。
「コロ。これからどうしよっか」
私の膝に頭をのっけたコロの頭を撫でながらいいました。
どれくらいそうしていたのかは、わかりません。
ふいに、コロが顔をあげ一声吠えると、遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえました。
帰りが遅い事を心配した父と母が、探しに来ていたのです。
私を見つけた母は泣いていました。
初めての親子3人と1匹の帰り道、謝ってばかりの父と母と一緒に家へ帰りました。
ほどなくして父が別居し、数ヶ月の間、母と私とコロの3人暮らしをすることになりましたが、冬を前にして父が家に戻り、この騒動は幕を閉じました。
その後は、何もなく穏やかな日々が過ぎ、私が大学生になった時には、コロはすっかりおじいちゃん犬になっていました。
コロの最期は、とても穏やかな最期だったと思います。
それは、私が大学3年生の冬のこと。
その時すでにコロは歩くこともほとんどできずに、家の犬用ベッドでじっとすごしていることが多くなっていました。
せっかくの黒柴なのに、お顔はうす茶色の毛が目立ち、白いおひげもちらほら。
お医者様からも、「もうほとんど目は見えなくなっていますが、臭いと感触はわかるので最期まで、可愛がってあげてください」そう言われていました。
だから。
だから。覚悟は出来ているつもりでした。
学校から帰ってコロの様子を見に行くと、声に気付いて尻尾をぱたぱたさせます。
頭と鼻を撫でてやると、もうあまり動かなくなった前足を、ひっかくようにうごかして膝まくらのご催促です。
私は、犬用ベッドの端に腰を下ろし、右の太ももにコロの頭をのっけてあげると、リモコンでテレビを付けて、頭をなでなでしながらテレビを観ます。
いつもは、そのまま気持ちよさそうにしてじっとしているのですが、その日のコロは違いました。
「フゥン」
いつもはしない鳴き声にコロを観ると、私の方を見ていました。
一生懸命からだをよじって「なでて♪」のポーズをします。
「もう。甘えん坊さんだなぁ」
喉元とおなかを優しくさすってやり
「コロ。気持ちいい?」
と私は聞きました。
「クゥン」
と、答えるようにコロは鳴いたと思います。
そのあと、私を見つめていた目をゆっくり閉じると、深呼吸のようにフゥーっと息をゆっくりと吐き出しました。
そうして、二度と私の声に応えることはありませんでした。
今でも、外で柴犬を見かけるとコロのことを思い出します。
部屋には、コロと私の写真が今も飾ってあり、寝る前にちょっと目に入ったときなどは、布団をめくり
「コロ。おいで」
って言ってしまうこともあります。
亡くなった当時は、悲しみしかありませんでした。
思い出すのが、つらい事もありました。
でも最近になって、柴犬を見かけるたび、またふとコロの事を思い出すたび、悲しい事よりも、より深く愛していた事を強く感じるようになりました。
大好きなコロ。ありがとう。
ママは元気です。
もう一度生まれ変わることがあるなら、またママの元においで。
もっともっと可愛がっていっぱいなでなでしてあげるから。