あをぎりの小さなおはなし

つれづれなるままにその日暮らし…

【ねこばなし】むーのこと

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12月も半ばを過ぎるとすっかり冬の様相を呈し、夕暮れを過ぎても街中はあわただしく年末年始の特需にむけ寒さに逆行するかの様な活気があり、駅から続く商店街ではこの時間帯でも特売セールの看板を掲げまだまだ忙しくお客を捌いている。
仕事を早く切り上げた翔平は、駅からの道々そんな風景を眺めながらも足早に自宅マンションに帰り着いた。

「ただいまー」
「あら、おかえりなさい。今日はお仕事はやかったのね」
「うん。真奈美が朝に気分が悪いから病院行くって言ってたろ。それでちょっと気になってね」
玄関先でそんな会話をしていると、黒い猫がトテトテとお出迎えにきた。
我が家の愛猫むーだ。
『むー』
そう鳴きながら、翔平の足元やコート匂いをクンクン嗅ぎまわる。帰ってきた家人のにおいをかぎまわるのは、むーのクセだ。
「むー。ただいま。今日もご帰宅チェックご苦労様」
これはむーを拾った小さい頃からかわらない。
そういえばむーを拾ったのも12月だったっけ…
寝室に移動した翔平は、クローゼットの前でネクタイをほどきながら、むーを拾ったことをちょっと思い出していた。


「オーナー。どうするんスかこれ?」
「お前が拾ったんだから、おまえのモンだろ」
「掃除のジャマだから、一時的に回収しただけじゃないですかー」
「ともあれ、拾っちまったのはお前だ。拾ったからには、もう店の前に捨てることはこの俺が許さん」
「カンベンしてくださいよ。ウチのアパートは動物禁止だし、俺動物飼う気なんてないし…」
「なら、お前が誰か他の飼い主を見つけるんだな」
3年前、深夜のコンビニエンスストアの事務所の中、こんな会話が繰り広げられていた。
翔平が夜中の定時のゴミ箱清掃をしていたときに、横に置かれた小さなダンボール箱から真っ黒な仔猫を見つけてしまったのだ。
真冬の寒空に、そのまま置いておくわけにもいかず、かといって店の中に置くわけにもいかず、仕方なく事務所のストーブの前に回収したのは、1時間ほど前のことだ。
時間は深夜ということもあり、オフィス街のコンビニの客は途切れ、表のレジには別のバイトの子が暇そうにあくびをこらえてつっ立っている。
動物は嫌いではないし、どうにかしてやりたい翔平だったが、アパート暮らしの大学生の身分ではどうしようも出来ない。
のんきな仔猫は、なでていた指を両手でかかえ込むと、指先をちゅうちゅうと吸い出した。
「オーナー。コイツ、腹とかへってるみたいですけど、廃棄品の牛乳とかないですかね?」
「バカ。仔猫に牛のミルクは良くないんだよ。なんでもタンパク質かなんかが合わなくて下痢を起こすそうだ」
「へー。よく知ってますね」
「妹の夫婦んとこが、飼ってるからな」
「じゃあ…」
「ダーメ。あいつんとこはもう3匹もいるし、オレの店のことで迷惑はかけられん」
それじゃ俺の迷惑は…。当然のようにそう思う翔平だが、こうなったオーナーがてこでも意見を変えないことはここ2年のバイトでよくわかっていた。
翔平の迷惑は…。そう思わないでもないのだが、こうなったら逆らえない

そんなことを考えていると、店を覗きに行ったオーナーが、何かを手にして帰ってきた。
「ほれ」
「ん?何ですか?これ」
翔平に手渡されたものは、缶入りの小さなキャットフードだった。
「これ、少し水でやわらかくしてから仔猫にやれ。このくらい大きくなってるなら離乳食代わりに食べるだろ」
「え?いいんですか?」
「店員割引だ。給料から引いとく」
「そんなー」
「ま、それは冗談だがな。その代わりお前がちゃんと。責任もって飼い主を見つけろよ」
「その代わりって…」
何か言いかえそうとは思ったが、ちょうど客がぱらぱらと来てしまい、仔猫はうやむやのうちに「翔平が責任をもってどうにかする」ことになってしまったのだ。

仕方なく家に連れ帰った仔猫だが、よく見るとなかなか愛嬌のある猫だった。
真っ黒なつやつやの毛に仔猫特有の大きな目。なぜかいつもちょっぴり舌を出したままで、ミーともニャーとも鳴かず口を閉じたまま「むー」「むー」と鳴く
連れて帰ったその日には、少し元気がなさそうだったが、次の日には残りのキャットフードもきれいにたいらげ、翔平が大学から帰ったときには、まっさきに寄り付いてきて、体中をふんふんと嗅ぎまわった。
なにはともあれ、早く飼い主をみつけなければいけなかったが、翔平の友人はほとんどが、同じ大学生なのでなかなか貰い手はみつからない。
唯一の救いは、大きな声で鳴くこともなかったのですぐに大家にバレてしまう心配がないことくらいか…。

そんなこんなで、数日が過ぎる事となった。
1日目には、むーの入ったダンボールだけだった。
2日目には、バイト先でもらったコーヒーのダンボール箱に一番おんぼろのバスタオルを入れ、まず、むーの新居が完成し、同じく新聞紙をちぎって入れたトイレも完成する。
3日目には、学校の帰りにホームセンターに寄り、仔猫用のミルクや離乳食と首輪、それに翔平がいない間のオモチャとしてタオル地で出来た黄色いクッションボールを購入した。
首輪は女の子だったので、紐を編んで出来た真っ赤な首輪だ。
大学から帰って鞄を置くと、まずむーは寄ってきてふんふんと匂いを嗅ぐ。それからエサをあげて、夕方から深夜はコンビニのバイト。バイトから帰ってきてからはむーとちょっと遊んで一緒に就寝する。
すっかり慣れたむーは、ダンボールの新居よりも翔平と一緒に寝ることのほうがだんだんと多くなっていった。


「まぁ神原くんもさ。もう来年は就職決まってんだし、このまま新しいとこに引っ越す時に連れてって飼っちゃえば?」
バイトの休憩中に、お茶をすすりながらのんきにオーナーが言う。
貰い手は一向に決まらなかった。
「最近トイレだけはちゃんとするようになってきたから、躾は出来てるし、情がうつらないうちに飼い主を見つけたいんですけどね」
思い切って大学の広報課に直談判して貰い手募集の張り紙もしてみたりしたのだが、一向に状況は好転していない。友人にも相談したが、このクソ急がしい年末に、親にまで連絡をつけてやっかい事を引き受けようなんて友人はいなかった。
そうしたむーとの生活が一転したのはむーを拾って10日を過ぎた頃だった。

アパートに戻った翔平の部屋のドアに大きな張り紙が張ってあった。大家からのものだった。
”神原さんへ。お話ししたいことがあります。帰ったら電話をしてくださいXXX-XXXX”

『1週間以内に処分するか、今月一杯で部屋を出て行く』
それが大家の言いたいことらしかった。
携帯から聞こえる大家の声は、いかにも困った様子で、それでもやんわりと同じことを何度も何度も繰り返す。
『…隣の吉田さんから連絡があってね。何でも、誰もいないはずの隣の部屋から物音がするって言うんですよ…。私は最初はドロボウかと思ってそれはそれは心配して、警察にも連絡しようかと思ってたくらいで…』
「はあ…。はあ、すみません…」
『…とにかく、他の部屋の方たちに迷惑になりますから、くれぐれもよろしくお願いしますよ』
翔平の言い訳には一切関心を示してくれなかった大家との電話を切り、むーを見ると呆然とした翔平の視線に気づいたむーが顔をあげ(むー)と一声鳴いた。


その日は朝から冷たい雨が降っていた。
明後日には大家が、合鍵をもってもう一度部屋をチェックしにくることになっている。
金曜日の午後、無理やりバイトを休んだ翔平は、日が落ちてからむーの部屋ごとむーをバイト先近くの公園に連れ出した。
天気の良い平日にはサラリーマンが昼食をとってたりする緑も多い公園だ。
明日は土曜だから公園にくる人は必ずいるはずだし、天気予報でも晴れだと言っていた。きっと家族連れやたくさんのやさしい人が来るに違いない…。
ベンチ近くの植え込みの影、そこにむーの部屋とむーを置くと、雨に濡れないように予備で持ってきておいた傘を開いて置き、リードを植え込みの太い枝に結んだ。

むーとの別れ。
むーが初めて拾った時のダンボールを思い出す。
何も入っていなかったダンボールとは違って、むーのお気に入りのバスタオルにボールやフードも入っていたけれども…。
翔平はしばらくむーを見つめていたが、その場を離れて歩きだした。バイト先のコンビニは近かったが休んだ気まずさもあり近寄る気も起きず、ただただあて先もなく歩きまわった。


何時間そうしていたのか、ふと携帯を見ると時間は夜の9時を過ぎ、翔平はいつの間にかあの公園のすぐ近くにいた。
アパートに戻る為に、公園を通りすぎるだけ…。
実際その場所からではそうではあったのだが、翔平は自分に言い聞かせて公園に向けて歩き出した。

あそこは…むーを置いた場所…。
どんどんその場所が近づく。
見てしまったらどうするだろう。自分は一体何がしたいのだろう。
考えがまとまりきらないまま翔平が恐る恐る目をやると、思いもかけないものが目に飛び込んできた。
それは傘をさした一人の人影だった。
人影をみた翔平の頭からは、通りすぎるだけだった考えなど瞬時に吹き飛んだ。
逆に真っ白になって状況が理解出来なかった。という方が正解かもしれない。
あの距離と体の向きでむーに気付いていないはずはない。
むーに一体何をするつもりなのか…今度は別の様々な考えが頭の中をぐるぐる駆け回り、訳もわからなくなってしまう。
どうしたらいいのかわからない。
それでも翔平は、人影にゆっくり近づくと声をかけた。

「あの…。すみません」
「はい?」
振り返ったのは女性だった。ショートカットの髪にベージュのコート。この辺りのオフィスに勤めているOLさんだろうか。
傘に守られたダンボールの中からむーがひょっこりと顔を出していた。
「あの、その…。その猫、俺…」
なんて言っていいのかがわからなかった。
ただ、立ってむーとその女性をかわるがわる見ることしか出来なかった。
最初は、何のことだろうと、不思議そうな顔をしていた女性は、傘をむーのダンボールに重ねてかざして地面に置くと、雨に濡れるのもかまわずに翔平の前に立った。
「もしかして、あなたが捨てたの?」
詰問するような口調だった。
「…」
立ち尽くす翔平にもう一度彼女は聞いた。
「あなたが。この子をここへ捨てたの?」
核心をつかれて、翔平ははっとなったが、やはり何もいえない。
「捨てたのね?」
もう一度、同じ言葉が翔平に向けられる。
「でも…それは…」
ようやく出た言葉は、最後まで出ることはなかった。
「分かった」
女性は言った。
「あなたが捨てたのは物じゃなくて命なの。わかってる?私も今までどうしようか悩んでたんだけど、そんな人にはこの子は渡せない。私が飼う」
翔平の目を見たまま、女性はまくしたてる様に一気に言い切った。
「いい?」
「…はい」
翔平に搾り出せたのは、その一言だけだった。
女性が立ち去ったあとも翔平はしばらくその場にいた。
冷たい雨が降っていた。
それでもいい。雨に打たれて濡れるだけ濡れてどうにかなるのだったら、ずっとこのまま雨に打たれていたかった。


「おーい神原、レジ!レジ!ボケっとすんなー」
夕暮れ時のコンビニは忙しい。オフィス街であっても、どこからともなく沸いて出てくる学生に、会社帰りのサラリーマン。
ちょっと空いた隙にと商品を並べてても、いつのまにかレジには人が並んでいる。
「はい。すぐ行きます」
あわてて手を止めると翔平はレジに直行した。
「…お釣り280円のお返しです。ありがとうございました」
夕暮れ時の激戦を終え、人の波がようやく途切れたのは、すっかり暗くなってからだった。
「おまえ、最近なんかたるんでないか?」
「え?そんな事はないですよ」
一息ついてレジに立ったまま、レジの液晶画面に流れるCMを眺めていた翔平にオーナーは言った。

あれからもう1週間近くがたっていた。
何度も何度も、頭の中であの女性が言っていた言葉が繰り返される。
俺だって、むーを捨てたくはなかった。
捨てたくはなかった。
なのに、いやな気持ちが塊になって、いつまでも胸のなかに残っている。

「おーい。倉庫のほうに今日分の雑誌も来てるからな。アレも並べとけよー」
「はーい」
言われるままに、倉庫へいって、二かかえもある雑誌の束を両手で運び、店のラックスタンドの前へ置く。
紐をはさみで切って雑誌を並べていると、窓ごしにその人影は通り過ぎた。
一瞬しか見えなかったが、翔平はハットなり動きが止まった。
ショートカットにベージュのコート、手に書類封筒か何かを持ってる…。女性…。
「あ…」
気づいたときには、すでにその女性は人ごみに消えていた。
翔平は一瞬迷ったが考えるよりも先に体が動いていた。
「オーナーすいません!俺ちょっと抜けます!」
レジのカウンター越しに、奥の事務所へそう叫ぶと翔平は店の外へ走り出した。
「おい!神原!ドコ行くんだ」
「すいません。すぐ戻りますから!!」

空はすっかり暗くなっていたが、オフィス街ということもあり街灯も多く、町並みは明るかった。
帰りを急ぐ人ごみをかきわけ走り、あたりを見回すと、立ち止まった交差点の赤信号の向こう、かなり遠くにようやくベージュの人影をみつけた。
『早く。早く青に…』
翔平は心で念じる。
信号が青になり全速力で走る。
200メートル?くらい走ったろうか、向こうの大通りの角を曲がろうとしていた女性にようやく翔平はおいついた。

「すみません!すみません、ちょっとまってください!」
「きゃ。え?何?」
驚いた女性は、振り返った。間違いなくあの女性だった。
「ああ…なんだ、キミか。どうしたの?」
女性は、最初は驚いていたがどうやら翔平の事を覚えていたようだ。
交差点で信号待ちをしている人は、何事が起きたのかと野次馬のように2人を見ている。
「あの…えっと…」
息を整えながら、言うことを探したのだが、何を言っていいのかわからない。
そういえば、あのときも同じだった、もどかしい思いをしながら言葉を探している翔平を見て、女性はにっこり笑うと、こう言ったのだった。
「むーちゃん。元気よ」
「え?」
びっくりする翔平に続けて彼女はこう言った
「書いてたでしょ、名前。首輪に」
「あ…」
そういえばそうだったことを思い出した。
真っ赤な首輪にマジックで「むー」と。『今日からおまえは、正式にむーだからな』
首輪をつけてやりながら、あの時翔平はそう言ったのだ。

言いたかったこと。伝えたかったこと。聞きたかったこと。全てがごちゃまぜになった。
「あの…あの…ありがとうございます!」
翔平は頭をさげていた。
人は本当に感謝したとき、何も考えずにこんなに素直に頭が下がるのだとその時思った。
思えばコンビニでバイトしててもこんな風に人に頭を下げたことなんてなかったかもしれない。
「ちょっと…。やめてよ。恥ずかしいし、いいんだってば。人が見てるって」
行き交う人々は、この見慣れぬ様子を通り過ぎながらも見ていた。
いつまでも頭を下げ続けている翔平に、
「お店いいの?抜け出して来たんでしょ?」
コンビニのユニフォームのままの翔平をみて彼女はそう言った。
「こっち来たのは、たまたまなんだけどね…」
そう言って彼女は書類封筒をちょっと持ち上げて翔平に見せる。
「いいわよキミが気になるのなら、時々むーちゃんのこと話しに行ってあげる」
「すみません。本当にありがとうございます」
翔平はもう一度頭を下げる。
「だからいいってば。じゃ、コレ持ってかなきゃいけないし。またね」
そう言うと彼女は、ちょっと照れくさそうにして足早に人ごみへと消えていった。
翔平は彼女が次の角をまがって姿が見えなくなったあとも、しばらくその場に立ち尽くしていた。
店にもどって、オーナーからきっちり叱られたのは言うまでもない。


思い出から戻った翔平が、部屋着のスウェットに着替えてからダイニングにいくと、テーブルの上にはから揚げにサラダ、お刺身に煮物とずいぶんと豪華な夕食が並べられていた。
「今日はえらいご馳走だな。具合大丈夫なの?」
「あら?聞いた?むー」
真奈美は椅子に座って、膝の上にむーを抱きかかえたまま、むーの前足持ってパタパタさせた。
「パパひどいねー。お前が捨てられて、パパとママが初めて会った日のことわすれてるよー?」
真奈美は言った。
あいかわらず、舌をしまい忘れたままのむーが(むー)と鳴く。
「それにねー」
あわてて謝ろうとする翔平に真奈美は続けてこう言った。
「来年むーはお姉さんになるから、そのお祝いもあるのにねー」
「え?」
突然の言葉に、何がなんだか理解出来ずに、翔平は真奈美を見つめた。
真奈美は、まだむーの足をパタパタさせながらいたずらっぽい目でこっちを見ている。
「今日、病院ね。風邪とかじゃなかったの」
(むー)
「そっか…。そっか」
しばらくの沈黙の後、翔平はそれだけ言った。というか言えなかった。
真奈美の前で何もいえなくなる事は、これで何度目なんだろう。
ぼんやりそんなことを考えながら、翔平は真奈美の後ろに行くと、後ろからそっと抱きしめた。
抱きしめた真奈美の膝の上で、むーがこっちを見て(むー)と鳴いた。

 

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