あをぎりの小さなおはなし

つれづれなるままにその日暮らし…

【おさんぽ】月へのおさんぽ

うさぎが餅つきをする満月(中秋の名月)のイラスト

 目の前の真っ黒な宇宙に まんまるな地球がぽっかりと浮いていた。
麻美は、大きさは20mくらいの小さなクレーターの斜面に座り込み一人で考え込んでいた。
ここなら誰にも見つからないだろうと、選んだ場所だ。

(あーあ。とうとう やっちゃったなぁ)
月面ツアーの自由行動からこっそり抜け出したのは2時間ほどまえのことだ。
添乗員さん曰く『どんなに離れてても絶対つながる』無線機は、抜け出してすぐにこっそり切っちゃったし、非常用の発信機も月面トレーラー
の座席の下にしっかりと押し込んできた。
背中にしょったタンクの酸素は4時間は持つって聞いてたから、このままあと2時間もすれば目的は達成できるだろう。
(天の川きれー)
大気に遮られない宇宙の眺めはやはり違っている。満天の星空はいまにも降りだしてきそうなくらい輝きに満ちていた。
(織姫と彦星って年に1回しか会えないんだよね)
麻美は心の中で思った。
(でも…、それでも会えるだけいいほうだ)
麻美の会いたい人は、どこにもいない。
目の前に浮いてる地球にも、この月にも、もう宇宙のどこを探してもいないのだ。
隆志は、いなくなってしまったのだから…。
自分をなくしてしまう場所に、麻美が選んだのは月だった。


ぼんやりと眺めていた地球からふと目線をはずすと、たくさんの星々がみえた。
「あれがオリオン座、あれがふたご座…」
麻美は声に出して言ってみる。
(あの星の光って たしか、何万年も前の光なんだよね)
そんな隆志との思い出がふと頭をよぎった。
星を見るのに そんな知識なんてどうでもいいと麻美は思ってる。

『あたし、あんたのそんなトコが嫌い!』
せっかくのデートなのに星空をみながらいちいちそんなことを説明する隆志に、麻美はよく言ったものだ。
隆志は、良く言えば理屈屋、悪く言っても理屈屋だった。
高校のクラスメートから付き合いで、割と直感でズバズバ物事を言う麻美に対し、隆志はなにかと理由やら理屈やらが一言おまけで付いてく
る。
卒業して付き合いも長くなったころ、「なんでこんなのと付き合ってるんだろう」と真剣に考えて、麻美は隆志に直接聞いてみたことがある。
「ま、バランス取れてるからいいんじゃない?」
隆志のそんな一言で納得してしまった麻美だからこそ、確かにそれでよかったのだろう。
高校を卒業するときに、麻美が大学へ行くか悩んでいたのに対して、隆志はさっさと自動車の修理工場に就職してしまった。
『別に俺、車好きだし、整備に大学は必要ないし』
そのくせ、麻美に大学へ行くことを、最後まで強情に薦めたのも隆志だ。

『でもさー、星座ってどうやって見ても人とかヤギとかさそりだとかそんな形にはみえないよね。何百年も前の人のこじつけに付き合わなくても
いいんじゃない?』
『でも麻美、星占いとか好きだろ?星座がナシならそれもナシだぞ』
『うー』
『それなら、麻美が自分で決めちゃえばいいんだよ。麻美ならあの星は何座にする?』
『んー』
たいていこのパターンで、麻美は言いくるめられていた。
隆志が言ったことに麻美が文句をつけ、言い返された一言に麻美が文句をいうと、さらにおまけの理屈が帰ってくる。
麻美の言いたいことは、そんなことではなくもっと別の事なのだが、うまく説明できない。
そうこうしていると、なんだかんだで隆志にうまく言いくるめられてしまうのだ。
そんな日々が続いていくのだろう。そう思ってた。
でもそんな麻美を、理屈をこねてなだめてくれていた隆志は、もういない。

ある日、いつものように会社で仕事をしていると、携帯に見知らぬ番号からの電話がかかってきた。
麻美が電話に出ると、知らない男性は隆志が交通事故に遭い、病院へ搬送された事を告げた。

『アブナイカラ、タクシーデイキナヨ。ネ。ネ…』
電話を切ったあと、わたしの顔をみた先輩が、そう言ってくれたのはなんとなく覚えてる。
タクシー呼んでくれて。放心状態だった私を、玄関までつれていって、タクシーの乗せて行き先も告げてくれたのも先輩だったそうだ。
(ああ、そういえばタクシーってちゃんとお金払ったっんだっけ?)

看護婦さんに連れられてたどり着いた、暗い場所の重いドアの向こうに、隆志はいた…と、思う。
部屋の中には、椅子に座った一人の女性がいた。
(隆志のおかあさん…)
隆志のお父さんは、隆志が小さいころに病気で亡くなっている。
早くオフクロに楽をさせてやるんだ。って隆志がよく言っていた。
(なんで…泣いているの?)
泣いているお母さんの向こうには、一番見たくなかった大きなベッドが置かれていた。
(ねぇ。おかあさん泣いているよ)
麻美は心で問いかける。
(ほら、早くおきなきゃ。白い布なんかかぶってちゃ息苦しいじゃない)
(それに枕元にお線香とかさ。ひどい冗談…)
(まるで…まるで…)
そのあとのことは、よく覚えていない。
自分には、あんな声が出せたのかな…。きっと隆志の名前を呼んでいたんだと思う。
思い出した麻美の頬を涙が伝った。

…業務上過失致死。
積載量をはるかに越える鉄骨が、大型ダンプの荷台から運転中の隆志の車に落ちたとしても、そんな言葉で片付けられた。
どんなに花束やお見舞いをもってこられても 無くしたものを埋めることは出来なかった。
(世界中のどこを探しても隆志はもういないんだ…)
そう思いつめることしか出来なくなっていた毎日の中、ふと麻美が目にしたものは「月面観光」のパンフレットだった。


麻美はもう一度星空を見上げ、眺めてみる。
ただ、キレイだと感じる心は小さな頃から少しも変わらないのに…。
(なんでだろう?)
何が大事なのかわからずに、毎日仕事してて、忙しさにずっと流されていた。
立ち止まって 周りをみて ほんの少しでも何かを思いなおす余裕なんてなかった気がする。
(大人って もっと自由だと思ってた)
(仕事だけしてれば あとは好きなことして お酒のんで、夜遅くまであそんで 好きなもの買って…)
(でも 自由なんて全然ないし。毎日が 「しなければいけないこと」 だらけ…)
何もかもがいやだった。
「隆志…」
もう応えてくれる事のない人の名を、麻美はつぶやいた。

(あの頃は楽しかったな)
麻美は小さい頃を振りかえる。
小学校のとき描いた 図工の絵。
それが、県の金賞に輝き、褒められた自分。
画家を夢みて やる気にはなってみたけれど、やっぱりダメだった。
美術大学を卒業しても、就職できたのはちっちゃなデザイン会社。
隆志はそれでも、自分のことのように喜んでくれた。
普段着たこともないスーツ着て、笑いの止まらない麻美を連れて、半分ふてくされながらもレストランでごはんをおごってくれたっけ。
会社での仕事は、食品のパッケージやら、広告のレイアウトやら、色の校正とか、デザインとはほど遠い事を繰り返す毎日。
それでも、そんな中で初めて褒められた、子供服のイラスト。
『もし、子供が生まれたら、それ着せなきゃ…な』
自分のデザインが初めて商品になった時、得意気に見せに行った麻美へ、ポツリと隆志は言ってくれた。


麻美はなにげなく、座っていた足元の砂を握り締めた。
手をひらくと乾いた黄色い砂は、ぱらぱらと指の間から崩れてこぼれ落ちる。
足元の地面を ゆっくり手で平らにならすと、指でかわいい犬の絵を描いた。
「藤野麻美、最初に創った…最後の作品…か」
あの子供服のイラストだった。


(ピー)
ふいに、ヘルメットのスピーカーからアラームの音が鳴る。
宇宙服に付いている腕時計を見ると、Oxygen と書かれた文字の横のランプが緑からオレンジ色に変わっていて、もう少しで酸素がなくなる
ことを告げていた。
麻美は顔をあげると、斜面にもたれかかって、星空をもう一度みる。
「きれい」
死にゆくのに、私はもう死んでしまうのに…。
それでもきれいだと思う心がある。
(この心はどこに行くんだろうね。とうさん。かあさん。なんて思うかな…)
そんな想いが麻美の頭の中をよぎった。
目の前の星々を眺めながらそうしていた麻美の意識は、いつの間にか次第に深い深い闇の中へと落ちていった。


『よう。元気か?』
隆志の声が、真っ暗な麻美の意識の中で聞こえる。
「隆志…?」
一瞬キョトンとした麻美だが、すぐに隆志に食ってかかる。
「元気なわけないじゃん。あたしこれから死ぬんだよ?」
麻美は叫んでいた。
『そんなつまんない事言うなって。生きてれば、きっといいことがあると思うぞ?』
隆志は麻美に言う。
「なによ。人の頭の中でばっかり偉そうなこといって。そんなこと言ったってあなたはもういないじゃない。
あたしはあなたに逢うためにここにきたの。何も無くなったあそこから、貯めておいた貯金も全部使って、全部無くして。あたしも…」
麻美は泣いていた。
少し間をおいてから、昔そうだったように、教えるように、隆志はこう言った。
『もう逢えたじゃんか』
麻美は、まだ泣いていた。
泣いている麻美の頭に、隆志はぽんと手をおいた。
真っ暗な意識の中で、見えないけれど、麻美はそう思った。
『麻美はさ、月へ散歩に来たんだよ。ちょっと気分転換にさ。それでいいじゃん』
「月へのおさんぽ…?」
麻美は聞き返す。
『だから…』
「だから?」
『それでも…』
「…それでも?」
『それでも生きろ。なっ』
「…バカ」


気がつくと、そこは病院のベッドだった。
宇宙服は着ていない。普通のパジャマだ。
どこにでもあるような病院の病室。窓の外には緑の葉を一杯につけた木も見えた。
「…麻美っ」
聞き覚えのある声に振り返ると、母が病室の入り口に立っていた。
手に持った花瓶から、花を生けて今戻ってきたところだとわかる。
(わたし、生きてる・・・の?)
麻美は、何と言っていいかわからず、そっぽを向いて窓の外の緑をながめる。
母は、花瓶をベッド横の机に置くと、その下の戸棚から何かを取り出した。
「…これね。隆志さんのお母さんからあなたにって。迷われたそうだけど、隆志さんがあなたの為に買ったものだから。いらなければ処分して
くださいって」
そう言って母は、私の両手を手のひらが上になるように重ねあわせると、その上に1つの箱を置いた。
それはリングケースだった。
中にはそういえばもうすぐだったバースデーカードと小さなシルバーの指輪入っていた。
指輪の内側を見ると「T hope your hapiness」と刻んである。
指輪を見つめる麻美の手の上に、涙が一粒頬を伝ってぽたりと落ちた。
(バカ…Happinessの綴り間違ってるよ…)
心の中で文句を言った。
麻美は、右と左とを少し迷ったが、そっと指輪を右手の薬指につけると、涙をぬぐってから母にこう言った。
「お母さん。私ね。もう少しだけ、隆志の言う事に騙されてみることにする」

窓の外には、相変わらず緑の葉が生い茂っていて、どこからかきたのか鳥も鳴いているのが聞こえた。
その向こうには、透き通るような青空がひろがり、まるで麻美を見つめ返すかのように、ぼんやりと白い月が浮かんでいた。 

 

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