【わんこばなし】おじいちゃんとヨーコと私(おまけでとしぞう):その3
「おはようございまーす」
玄関のカギを開け、ガラガラと引き戸を開けての第一声で、私のアルバイトは始まります。
総司おじいちゃんの家は、昔ながらの平屋建てで、玄関を入ると長い廊下が目の前にあります。
廊下の奥の引き戸がガラっと開くと、今では総司おじいちゃんよりも、ヨーコが先に走ってお出迎えをしてくれるようになっていました。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
あとからきた総司おじいちゃんに、改めて言うとおじいちゃんもご挨拶を返してくれます。
ヨーコはというと、出逢ったときにも書いてましたが、玄関の先にはマット(絨毯みたいなの)があり、そこに座って尻尾をぶんぶん。
前足は早く散歩にいきたくて、うずうずしながらマットをふみふみ。やっぱりかわいいです。
下駄箱の横には、散歩用の赤いリードがかけてあるのですが、初めの頃はそれを持って「ヨーコ。散歩いく?さ・ん・ぽ」と言うと。
(わん!わん!)
と、吠えて返してくれていたのですが、最近は慣れてしまったせいか「リード早く!早く」な目で見つめられ(わん!わん!)も先出しされるようになってしまいました。
「それじゃいってきます」
総司おじいちゃんに見送られて、玄関を閉めるとまずは玄関の横手にある水道へ。
ヨーコ用のお水をペットボトルに詰めてから、タオルや雑巾、お水用のお皿に、エチケット袋の入ったショルダーバッグを肩にかけいざ出発です 。
最初の2回目までは、総司おじいちゃんも一緒についてきてくれました。
ルートは、町内を横切ってから、まずはお気に入りの公園へ一直線。
公園を一周しつつ、寄り道+軽く遊ぶ。
ヨーコ様が満足されたら、公園のベンチで一休み。
帰りには、川沿いの道を、草むらを眺めながら歩いてぐるっとお家まで戻ってきます。
実際に、初日から体験させていただきましたが、ヨーコ様。かなりパワフルです。
初対面での女の子らしい印象はどこへやら、お散歩では「アタシについてこーい!」と、グイグイひっぱってくタイプでした。
しかも、飛んでるものが大好きらしく、蝶とかトンボとか、場合によっては舞い落ちる葉っぱにまで、見つけた瞬間に走りだす事もしばしば。
私のバイト日以外や、お天気のいい夕方などは、おじいちゃんが散歩に連れていく事もあるそうですが、これはたしかに荷が重いかも…。
散歩から帰ると、まずは再び水道です。
ヨーコが喉を潤している間に、私は雑巾を洗ってギュッと絞り、エチケット袋は外のポリバケツへポイします。
「ただいま帰りましたー」
玄関を開けてから三和土でリードをはずし、丸めて所定の位置へかけると、座って待ってるヨーコの足を雑巾で拭いてやります。
「ヨシ!」
掛け声にヨーコがひょいと廊下へあがる頃、ちょうど総司おじいちゃんが「おかえり」と顔を出します。
おじいちゃんに駆け寄るヨーコ。
それを見届けてから、おじいちゃんと二言三言、言葉を交わし今度は二人からお見送りを受け「それではまた」とアパートへ帰る。
こうして私のアルバイトは終わるのでした。
総司おじいちゃんは、本当にいい方で、高額なアルバイト料とかは抜きにしても、ちょくちょくお邪魔させていただきました。
休日には、散歩後のお茶とお話し、私がヒマな時の夕方散歩なんかも、いつしか私たちの習慣になっていました。
今では、私の楽しかった思い出です。
そんなこんなで、アルバイトを始めて数ヶ月経った夏の日、私は総司おじいちゃんからあるお話を聞くことになりました。
いつものように公園のベンチで一休みしていると、水を飲んでいたヨーコが急に顔を上げ、何かに向かって吠えたのです。
見ると、総司おじいちゃんがコンビニの袋を手に持って、こちらへ歩いてきていました。
おじいちゃんは、私の横に座ると、冷えたお茶の缶とおにぎりを袋から出し、
「食べませんか?」
と私に差し出しました。
これまで無なかった急な訪問?に、お茶を一口飲んで黙っている私へ、おじいちゃんはヨーコの頭を撫でながら話を始めたのです。
「今日は…妻の命日なんですよ…」
ぽつりとした一言から始まったそれは、おじいちゃんと奥様がヨーコと出会ったお話でした。
4年前のある日、総司おじいちゃんと奥様は近くのホームセンターへ園芸用の買い物へ出かけたそうです。
店内を回っていると、たまたま通りかかったペットショップコーナーで奥様が急に立ち止り、ケースの中の仔犬を見つめたまま動かなくなってしまいました。
おじいちゃんが、何事だろうと声をかけると、奥様はこう言ったのだそうです。
『ねえあなた。この子、目が陽子にそっくりだと思わない?』
総司おじいちゃんと奥様に、お子様はいらっしゃいません。
その昔、子供を切望していたご夫婦が、ようやく授かった女の子は、名前を「陽子」といいました。
喜んだご夫婦は、大事に大事に一人娘を育てましたが、ある時、急な病気にかかってしまい、一歳を待たずしてこの世を去ってしまったそうです。
当時は写真を撮るのもままならない時代で、それでもたった一枚だけ撮ってあった写真を、奥様は亡くなるまで大切にされていたとの事でした。
「わたしもね。言われてヨーコの目を見た時にはドキっとしました」
おじいちゃんは言いました。
「すぐさま銀行に二人で走っていって、ドッグフードやおもちゃもみんな買い込んだんですよ。で、お会計済んだあとになってから、妻が『この沢山の荷物どうしましょう?』って。…あの時は大変でした」
ようやく笑った総司おじいちゃんに、私もつられて笑うことが出来ました。
その後、犬のヨーコは家族の一員として、愛情とわがままいっぱいに育ち、奥様が病気になるまで散歩もご夫婦一緒だったそうです。
亡くなられる少し前に、奥様は『あなたより先に陽子に会ってきます。ヨーコをお願いします』と謝りながらおじいちゃんに頼んだとか。
「さて、つまらない長話をきかせてしまいましたね。今日はお坊さんも来るし、墓参りも行くからそろそろ帰らないと」
そういうと、総司おじいちゃんは立ち上がりました。
「…あの。お墓参りはヨーコも連れていくんですか?」
その言葉を聞いた私は、咄嗟におじいちゃんに聞いていました。
「お墓は少し遠い所にあるんですよ。ヨーコはタクシーに乗れないから、かわいそうですがお留守番になってしまいます」
総司おじいちゃんの、寂しそうなお顔と言葉に、私は少し悲しくなりました。
歩いていけるのであれば、代わりに自分で連れて行こうとしていたのですが、見事に崩れ去る目論見。
そっか。この大きさだとタクシーには乗れないのか。
そう思って諦めかけていた次の瞬間、ある考えが私の脳裏に浮かびました。
「すみませーん。お待たせしました。こっちの道、一方通行で反対の入り口さがしてたら道迷っちゃいまして…」
同じ日の午後、私は一台の軽自動車と共に、総司おじいちゃんの家を訪ねました。
あの後、大学の友達に電話をかけまくり、半ば強引に借りてきた車です。
免許証はもちろんあります。実家も含めてこの辺りは田舎なので、社会人は車がないと生活が成り立ちません。
大学はアパート通いなので車は持っていませんでしたが、私も高校を卒業する直前に、自動車免許だけは取っていました。
母と叔父に改めて感謝です。
「本当によかったのですか?」
後部座席で車にゆられながら、総司おじいちゃんは言います。もちろんヨーコも一緒です。
ヨーコは、さすがにアレなので、後部座席にレジャーシートを敷き、さらにその上のバスタオルの上に行儀よく座っていました。
「大丈夫ですよ。友達もぜんぜん使ってないからっていいよーって言ってましたので」
運転しながら大嘘をつく私。
心の中で友人に「すまぬ。今度ゴハン奢るから許してね」と謝りました。
30分ほどドライブをして着いたのは、山間の見晴らしのよい墓地でした。
その日は、夏場にも関わらずさっぱりとしたよいお天気で、山がすぐ近くにあるせいか風も心地よく感じます。
墓地の入り口で、総司おじいちゃんは水を汲み、私はヨーコを連れて一緒にお墓へ向かいました。
お墓に着いたおじいちゃんは、周りのお掃除をし、お水をかけ、お花を生けて墓前にお菓子を置きます。
ボーロ菓子があるのは、陽子ちゃんへのものなのかなと、心の中で思いました。
私はその時、ヨーコを連れていた訳ですが、一応お掃除をお手伝いをするか迷いました。
よそ様のお墓を他人が掃除してもいいものかどうなのか…。
何か私は、いつも同じようなことばかりで悩んでます。成長がないのでしょうか。
最後に総司おじいちゃんは、束ねたお線香に火をつけ、線香立てに立てると私に言いました。
「よければ、一緒に拝んでやってください。そのほうが静子も喜ぶと思います」
この時、それまでおとなしくしていたヨーコが、初めてピクンと動きました。
ヒューンと私が初めて聞く鳴き声で、総司おじいちゃんの足元へ歩み寄ります。
いくら鈍い私でも、ヨーコが奥様の名前に反応したことは、すぐわかりました。
おじいちゃんは、立ったまま足元にヨーコを座らせます。
私はヨーコの後ろにしゃがみ、リードを持った左手と、右手を合わせて目をつむりました。
なんて拝めばいいのかなと、考える間もなく、総司おじいちゃんの涙声が上のほうから聞こえました。
「静子。今日はヨーコが来てくれた。…おまえは陽子と元気でいるか?」
ヨーコは、奥様の名前にまた、ヒューン・フーンと鳴いています。
『あれ?あれ?私って涙腺こんなに緩かったっけ?』
おじいちゃんの涙声と、ヨーコの鳴き声に、私の涙はあふれて止まりませんでした。
早く拝んでしまって、涙を振り払おうと考えましたが、奥様を亡くされて1年しか経ってない事を思い出し、更に、今朝のおじいちゃんの話とかが頭の中でごちゃまぜになって、ますます逆効果。
『おじいちゃんとヨーコが、元気でいられるよう私も頑張ります』
あの時の私の頭で、静子おばあちゃんと陽子ちゃんに言えたのは、それが精一杯の言葉でした。
後日、というかその日談になりますが、車を借りた友人から、誰を乗せたのかと興奮して電話がかかってきました。
「犬は乗せるけど、ちゃんとお掃除はして返すね」
と、事前には言ってあり、コロコロも入念にかけてお返しはしたつもりです。
もしかして汚れてた?って聞くと、そうじゃないのと答えます。
よく聞いてみると「ガソリン代で」って友人に渡した封筒に、諭吉さんがお一人入っていたそうです。
犯人は、もちろん総司おじいちゃん。
送っていった後に、差し出されたお礼の封筒を「いいです。受け取れません」ってちゃんとお断りはしたんですが
「ガソリン代もありますし、お友達とお食事にでも行ってください」
と言われ、ガソリン代の言葉に、中身も見ずにそのままお礼として友達に渡したのは失敗でした。
本当の後日、私は上機嫌の友人と、奢る立場が逆転してゴハンを食べにいくことになったのは言うまでもありません。
あの日、あのお墓の前で、静子おばあちゃんと陽子ちゃんに交わした約束…。
その約束が、破られることになったのは、それから一年も経たないうちの事でした。
【その4へつづく】