【わんこばなし】おじいちゃんとヨーコと私(おまけでとしぞう):その4
総司おじいちゃんとヨーコ。
二人に出逢ってから翌年、私は無事に大学三年生になることが出来ました。
新入生の歓迎学際も終わって、学校内も落ち着きを取り戻し、お昼休みにランチをとりながら、少し早い夏休みの計画を友人と話していた時、テーブルに置いていた私の携帯が鳴りました。
あの、動物病院からです。
病院へはつい先月、総司おじいちゃんとヨーコで、春先の定期検診に行ってきたばかりです。
何かあったのかなと電話をとると、電話をかけてきたのは、意外にも先生ご本人でした。
先生はまず、落ち着いて聞いてくださいね。と前置きをし、おじいちゃんが自宅で倒れ、救急車で病院へ搬送された事を私に告げました。
「…お願いしたいことがありますので、時間が出来たら、まず先にこちらへ来ていただけませんか?」
全然落ち着いて受け答えの出来ない私に、最後に先生はそう言われました。
電話を切ったあと、私のただならない様子に友人はタクシーを引き受けてくれました。
友人へのお礼もそこそこ病院へ駆け込むと、今は顔見知りになっていた受付の女性は、「先生は今、別件の診療中ですので、先にこちらへ」と、入院患畜用の奥の部屋へ、私を通してくれました。
一番奥の大きなケージの中に、ヨーコがいました。
「ヨーコ…」
私をみつけたヨーコは(わん!わん!)と吠え、少しだけ尻尾をふります。
看護師さんが開けたケージから飛び出したヨーコを、私は抱きしめて泣く事しか出来ませんでした。
ヨーコは一生懸命、私の顔を舐め、逆に慰めてくれているようでした。
その後、診療の終わった先生から聞いた経緯は、次のようなものです。
近所の方が、総司おじいちゃんの家の前を通りかかったときに、吠え続けるヨーコの声を聞き、不審に思ったそうです。
声をかけてもチャイムを押しても返事はなく、中にいるヨーコは玄関引き戸をひっかき、吠え続けます。
あまりの様子のおかしさに、警察に電話し、開いていた裏口から家へ入ると、居間でおじいちゃんが倒れていたそうです。
救急搬送されるときに、車を追いかけて逃げ出したヨーコを見つけ、動物病院へ連絡してくれたのも、そのご近所の方という話でした。
「それで、お願いがあるのですが…」
先生がヨーコを保護している事を病院に連絡した際、入院先の病院のほうから、おじいちゃんの家族のことや介添え人について心あたりがないか質問があったそうです。
また、救急搬送の際、家の鍵が開けっぱなしになっているので、警察のほうからも防犯上何かとまずいので、何とかならいないかと。
「…すみませんが、施錠だけでもお願いしたいのですが」
その先生の言葉を聞く前に、私の心は決まっていました。
その日の夕方遅く、総司おじいちゃんの家から出た私は、タクシーへ乗り込みました。
お願いされていた戸締りもし、誰もいなくなってガランとした家は、私がそれまで知っていた家となんだか違う家に見えました。
手にした紙袋には、探し出したおじいちゃんのお財布や着替えなどの身の回りのもの、健康保険証などが詰め込まれています。
ほどなくして病院へ着くと、運転手さんが気を利かせて夜間受付と書かれたドアの前に車を止めてくれました。
私はドアの横に付いたインターホンのボタンを押します。
総司おじいちゃんの名前を告げ、説明が面倒だったこともあり「身内です」と答えると、ドアが開いて中に入ることが出来ました。
エレベーターで教えられた階のボタンを押すと、ICUと大きく書かれたドアのあるフロアに到着しました。
受付窓口で、紙袋を渡し、マスクやら帽子やらを着けて入った先に、総司おじいちゃんはいました。
おじいちゃんは、寝ているようでした。
「今は、お薬が効いているので眠っていらっしゃいます」
看護婦さんが、そういいながら椅子をもってきてくれました。
急性の肺の病気で炎症を起こしていること、今は容態は安定していること、もうすぐ一般病棟へ移れるだろうという事などをお聞きしました。
「失礼ですが、静子さんというのは貴方のお名前ですか?」
容態が安定しているとの言葉に、少し安心していた私に、看護婦さんは尋ねました。
「いえ。おじいちゃんの…奥様のお名前です」
私の頬から、ぽたりと涙が落ちました。
その後、私は自分の素性を話し、許可をもらっておじいちゃんのお世話をする事になりました。
ヨーコは当面、動物病院でお世話になりそうなので、散歩などの世話を私がする事を申し出た所、先生は快くオーケーを出してくれました。
動物病院の方から警察経由情報をあとから聞いたのですが、総司おじいちゃんには、割と近い親戚が他県にいるのだそうです。
しかし、移動が大変なことや、お仕事の都合で、来ることが出来ないのだとか。
今思い返せば腹立たしいことですが、当時の私はそんなことよりもおじいちゃんの事が心配で、あまり他の事を考える余裕はありませんでした。
総司おじいちゃんは、その後一般病棟に移り、容態もよくなって退院のお話も出るほどでした。
その時に、看護婦さんに本当にご無理を言って、一度だけヨーコとおじいちゃんを会わせることも出来ました。
車椅子に座って、酸素マスクつけた総司おじいちゃんは病院の駐車場で、私の手を握ったまま「ありがとう。ありがとう」って、何度も何度も言ってました。
「早くお家にもどって、またヨーコのお散歩、一緒に行こうね」
あの時、その日が二度と訪れない事を知る由もなく、私は、おじいちゃんにそう言いました。
しかし。
現実というものは時として、どんなドラマよりも残酷に、突然大切な人の命を奪っていきます。
ヨーコとの面会からしばらくした日の朝、総司おじいちゃんは、起こしにきた看護婦さんにの声に応える事なく、静子おばあちゃんと陽子ちゃんの元へ、静かに旅立っていたのです。
総司おじいちゃんの葬儀の日、私は早朝から母の訪問を受けていました。
喪服を貸してほしいとの私の願いに、娘がお世話になった方だからと参列を申し出、はるばる2時間かけて車で駆けつけてくれました。
きっと、電話中まともではなかった、私の状態を察して来てくれたのだと思います。
母は喪服を着た私を乗せて車を出すと、動物病院へ向かい、先生とヨーコを拾い市内にあった斎場に向かいました。
斎場へ着くと、いろいろな肩書きや他方面からの花輪が沢山届けられていて、総司おじいちゃんが実は、結構な地元の資産家名士であったことを私はその時初めて知りました。
大きな式場に入ると、案の定、犬を連れた私たちを怪訝そうにみつめる親族の人達の視線。
先生が、率先してお悔やみを申し上げ「失礼ながら…」とヨーコを連れてきた事を説明していました。
『失礼なんかじゃないのに…』
自分が、お悔やみの挨拶をしている間中も、私の心の中はそんな思いで一杯でした。
もちろん、先生にではなく、入院中一度も来ることのなかった、初めて見る目の前の人達にです。
こんな時にしか集まらない人達は…この人達は、あのおじいちゃんの親戚なのだろうかと本気で思ったほどです。
私たちは、式場の一番後ろに席を取り、総司おじいちゃんとのお別れを済ませました。
式の間中、私は泣くことはありませんでした。
昨日泣きまくったせいなのか、悲しすぎて感覚が麻痺しているのか、目の前の事が全て現実ではないような感覚がしていたように思います。
ご焼香は「(ヨーコは)家族なのだから遠慮してはダメよ」と言う母の言葉に、ヨーコや母と一緒に行い。
最後のお別れの際には、お花と一緒に、笑顔のおじいちゃんとヨーコが写った写真を1枚、棺に入れました。
『天国でおばあちゃんと一緒にみてくださいね』
そう、願いながら。
出棺を見届け、私たちは動物病院へと戻りました。
何度目かの応接室。
今日は、母とヨーコも一緒です。
「お疲れ様でしたね」
先生は、ご自身もソファーに座ると目の前の私と母にそう声をかけ、話を始めました。
その時に聞いたのですが、葬儀の前日、先生は総司おじいちゃんのご親戚と面会をされていたそうです。
ヨーコの事についてでした。
『ヨーコに掛かったお金は、世話になった分と合わせて払います』
『ですから、こちら(動物病院)で、適当な引き取り手が見つからないようであれば、保険所ででも連れていって処分してください』
ヨーコの今後について、親戚がそう言った時、
「失礼ながらあなた方は、動物の命を何だと思っているのですか!」
と先生が本気で怒鳴り、その声が受付まで聞こえたというのは、受付の女性から聞いた後日の話です。
先生のあまりの剣幕に、親戚と称される方々はそそくさと葬儀の準備を理由に帰る準備をし、ヨーコはとりあえず病院側で引き取り手を探す形に話をまとめ、さっさと逃げ帰ったそうです。
そこまでの話を終え、先生は一通の封筒を私に差し出しました。
「昨日(病室の引き出しにあったもので)あなた宛にと預かったものです」
そう言われて受け取った封筒には、私の宛名が書かれており、中にはありえないほどのお金と、何枚もの便箋が入っていました。
綺麗な文字で書かれた、総司おじいちゃんからの手紙は、私への感謝の言葉や、出逢ってから今までの思い出が、いっぱいいっぱい書かれていました。
葬儀中にあれだけ出なかった涙がうそのように、私の目からあふれ出し、ぽたぽたと手紙の上に落ちました。
ヨーコは、ヒューンと泣きながらソファーに前足をかけ、背伸びをして私の頬を舐めてくれ、母は手紙を読む私の両方を、ずっと抱いていてくれました。
「先生。ご相談なのですが」
それまで、一言もしゃべっていなかった母が初めて口を開きました。
「ヨーコちゃんを、ウチで引き取ることは可能でしょうか?」
母は、先生を見つめ、はっきりとそう言いました。
そうしてヨーコは、ウチの実家に引き取られ、私の家族になったのです。
私が大学4年になった春、ゴールデンウィークを控えた週末に、母から電話がありました。
「アンタ、このゴールデンウィークは、絶対に、絶対に、絶対に!帰ってきなさい」
あれ以来、ヨーコに会うため実家に帰ることも多くなり、このお正月は実家で過ごしました。
母は母で、引き続きかかりつけ医をしてくださる先生の元へ、よく車を飛ばしてやってきます。
私は用事があって会えなかったのですが、たしか先日も春の定期健診を受けに来ていたはずです。
「はいはい。言われなくてもわかってます」
そう言って、電話を切ったのですが、強引な母の物言いに、その時はなんだか少し引っかかる気がしました。
「ただいまー」
ゴールデンウィークの休みに入り、実家に戻って玄関を開けると、いつもお出迎えをしてくれるヨーコが出てきません。
「おかえりー」
あれ?と思う間もなく、母が台所から顔を出し、代わりに私を出迎えました。
「母さん、ヨーコどうしたの?」
玄関先で、クツを脱ぎながら私がたずねると。
「いいから、いいから、早く奥(居間)に行ってらっしゃい」
と、なぜかニヤケ顔で言います。
「ヨーコー?」
襖をガラっと開けて居間へ入ると、そこには犬用ベッドに寝そべったヨーコが、尻尾を振ってこっちを見ていました。
「お?」
ヨーコのおなかのあたりに、何か沢山の塊がみえました。
「お?」
その塊、なんかもぞもぞ動いています。
「おおおおおおおおおーーーーー!!!!」(本当に叫んでました)
「アンタにはね、内緒にしといたんだよ」
言いながら、母が居間に入ってきました。
そうです。ヨーコがお母さんになっていたのです。
叔父方の知り合いに、同じくレトリバーを飼っている人がいて、何回か会わせたらお互いすっかり気に入ってこうなったとのこと。
「ヨーコ!おまえお母さんになったんだ!」
頭をなでてやろうとした手を、ぺろぺろ舐める癖はあいかわらずです。
仔犬は目が開いて見えるようになったかならないか…くらい、数えると1、2、3、4…全部で6匹!
そして見事なまでに、男の子3匹、女の子3匹!
すばらしい!そしてかわいい!かわいすぎます!
なんてことをしてくれるのでしょう。ウチの母は。
「この間の病院もね、この子たちを検診に行ってたのよ」
そういえば、私に用事があったとはいえ、いやに「来なくていい」を連発していたのを思い出しました。
「貰い手は、叔父さんのツテで、もうほとんど決まっちゃってるんだけどね…」
母は言います。
「どうしても。って言うなら、1匹はウチに貰えるよう言ってあるけど。どうする?」
やっぱりニヤニヤしながら、答えの決まった質問を、母は私にしました。
「いるっ!」
即決気質というものは、…遺伝するのかもしれません。
もう、気分としては全部飼ってしまいたい仔犬を「ごめんね」と言って、1匹づつヨーコのお乳からひっぺがし、お顔を拝見します。
フンフン・キュンキュンいってます。
かわいいです。全員紙袋につめて、アパートへお持ち帰りしたいです。
そんな衝動にかられながらも、全部の仔犬の面接を済ませると、私はもう一度、3匹目に見た男の子を取り上げました。
真っ黒でつぶらな瞳。
私が、総司おじいちゃんの目に一番似ていると思った子でした。
それから更に2年の月日が経ちます。
私は無事大学を卒業し、実家から通える地元の小さな会社へ、就職も出来ました。
仔犬は、私が「としぞう」と名付けました。
「そうじ」はさすがに恐れ多いので、おじいちゃんの「総司」にあやかって付けた名前です。
もうかなり大きいのですが、男の子らしく、やんちゃにスクスクと育ち、毎日が大変です。
今では、母と私、そしてヨーコととしぞう。2人と2匹の散歩は、朝の日課になっています。
総司おじいちゃん命日のお墓参りも、我が家の恒例行事となりました。
初めてとしぞうを連れて行った日、ヨーコととしぞうのリードを握ったまま立っていた私に対し、さっさとお墓の掃除をしだす母へ
「ヨソ様のお墓ってお掃除してもいいものなの?」
と聞いたところ、
「そんなもの、気持ちがあれば関係ないことだし、第一もう私達は家族でしょ?」
と、あっさり返されてしまいました。
この母には、勝てません。
これからも、この母とヨーコととしぞうと、きっと毎日を過ごしていくのでしょう。
あの、総司おじいちゃんと過ごした1年数ヶ月の思い出と共に。
(おしまい)
長い長い駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
口幅ったくもありますが、自分が愛している人や動物、また愛されている人や動物への想いをほんの少しだけでも思い出すきっかけになれば、いいなと思っています。
それでは失礼いたします。