【おさんぽ】雪の中を歩く
ギュッギュッギュ
そんな音が靴底で響く。
私は一人雪の降る中を傘をさして歩いていた。
天気予報では今年一番の寒波襲来らしい。
昨日の半狂乱ともいえる天気予報に、社員には緊急の有給許可が出ていた。
クライアントの打ち合わせ日が、そんな日と重なり自分の運の無さに思わず苦笑が出る。
予報で言う所の「今年一番の寒さは」一体、年に何度出るのだろう。
そうは思いつつも最近は外れる事の少ない天気予報。
現にこの地方では珍しい雪もしっかり積もっており、自分の様に用件で出回りする社員には、公共交通機関の利用が強制通達されていた。
打ち合わせを終わらせ、帰りパスの時刻表を見た時、本来なら10分ほど待てばバスに乗れる状態だった。
相変わらず雪は、吹雪のように横殴りに吹き付けてくる。
仕方ないので、バス停留所のそばにあったコンビニへ避難していたのだが、予想通りの交通混雑でバスは遅れていた。
ようやく向こうの信号にバスが赤信号で止まっているのが見えた時、私はコンビニを後にする。
私が5m手前にさしかかった時、バスは停留所へ到着した。
空いたドアに私は右手を挙げたのだが、バスは気付いた風もなくドアを閉めるとそのまま走り去っていってしまった。
本来ならクレームの電話一本でも入れたい所だが、なぜかその時は、怒りよりも笑いがこみ上げてきた。
私はバス停まで歩いて行くと次のバスを確認する。
「一時間後か」
もう一度コンビニへ避難するのもバツが悪く、折りしも雪は一時的に止んで日が差していた。
遠くの空には早く流れる雪雲があり、その下は灰色に煙っている。おそらくあの下では大雪が降っているのであろう。
「ま、いいか」
仕事という意味では今日はもう終わりだし。さしてこの後する用事も、この天気ではなさそうだ。
私はコンビニで買っておいた缶コーヒーが入ったポケットに手を突っ込むと、そのぬくもりを感じつつ次のバス停へ歩きだした。
縁石で仕切られた歩道には、他の足跡などほとんどなく、時折すれ違う車は、バシャバシャと汚いを音をたてながら、雪が半分溶けた道路を通っていく。
やはり、こんな日に歩いて移動する酔狂な人間は自分だけらしい。
バスの本数も多い国道を目指し、田舎道を歩いていると、ふいに目の前にバサッっと雪が落ちた。
(チチッチチチ…)
飛んでいく名も知らぬ鳥。
見上げた視線の先には、幾本もの常緑樹が見える。
青い空を背景にして立つその木は、冬でも緑色をした葉の上に白い雪を残したまま、沢山の赤い実を実らせていた。
「クロなんとかだったっけ?…」
亡くなった爺様が、私が小さい頃に初詣で見つけた赤い実の知識を、ぼんやりと思い出す。
しかし、幼児期のかすかな記憶に応えてくれる人はいない。
木々には飛んでいったものと同じ種類の鳥が、まだ何匹か止まって赤い実を啄ばんでいた。
私は左のポケットからスマートフォンを取り出すと、右手の手袋を外した。
だが、もう一度見上げた光景を眺めた後、結局私の右手が動くことはなかった。
左手をスマートフォンごとポケットに突っ込こみ、手袋を嵌めなおすと再び歩き出す。
ギュッギュッギュ
靴底ではいつまでも同じ音が響いていた。
国道までたどりつくと、交通量は増えたが、車は相変わらずバシャバシャと汚いを音をたてながら走ってゆく。
それでも、私は誰もいない歩道を、ぼんやりと空を眺めながら歩く。
酔狂人なら親指を立てて駅までヒッチハイクでもしたのだろうが、自分はまた別の意味でやはり酔狂人なのだろう。
防寒はしっかりしていたせいか、強風と横殴りの雪さえなければさほど寒さは感じなかった。
そうして幾つめかのバス停で時刻表を見たとき、駅へ向かうバスは五分後になっていた。
私は立ち止まり、すっかりぬるくなってしまった缶コーヒーを取り出すと、煙草に火を付け一口飲んだ。
煙草を吸い終え、空き缶とゴミとをレジ袋に入れ、ショルダーバッグに詰め込んだ頃、バスは到着した。
駅へ向かうバスが街中へ入ってゆくと、ちらほらと人も見えだした。
寒そうに、そして、せわしなく歩いている。
曇ったガラス越しに見える人々眺めながら、先ほどの自分と重ねあわせてみる。
「たまたまだったけど、こんな日も良あって良かったかのな」
私は、最初に乗り遅れた不満などすっかり忘れて、暖かいバスの車中揺られながらそう思うのだった。