誰が為の何の為なNintendo LABO♪な今日の雑記
こんにちは(´・ω・`)。ネタあさりをしていたら、Nintendo LABOの続編レビューを発見した。
動画もあって、説明されていたんだけど、やっぱりひっかかってしまったあをぎりです。
雑記なのでお忙しい方は、例によってナナメかすっとばでどーぞー♪
誰が為の何の為のゲーム???
「Nintendo Switch の新しい遊び」の大看板のもと発表された、Nintendo Labo。上記の続編レビューを見ると、実に多彩な機能が備わってる。
実際動画も見てみたんだけど、対象年齢は定かではないが、上記の「ピアノ」だけみても、紹介動画の機能をフルに使いこなすのは、大人でないと無理だろうと思う。
以前、こんな記事を書いたし思った。
新しい技術を拓くのではなく模す。このLABO「遊び」としてそれは楽しいのでしょうが、Switchというゲームを始め、やはりこれからのデジタル技術は過渡期を迎え、衰退はしないがアナログに寄る方向で進歩していく…方向なのかもしれません。
最初からキットにされているLaboガジェット。そして単なる模倣としてのゲーム。多彩な機能は、それ自体工夫は凝らされているが、全てを扱うには子供の手にはあり余る。
単純に思った。
誰が為の何の為のゲーム??だろう…と
子供の創造力を奪わないでね
上の雑記では、自分は下の様に書いた。
海や湖畔にいって風や自然を感じ、掛かった魚の初めての手ごたえを味わう喜び。ビアノに触れて、曲も弾けないのに音を出し、体に響く心地良い音程を味わう喜び。
本物を知らずして井の中の蛙になる「遊び」のみに堕さず、本物に触れる入り口になってくれる事を願うばかりです。
しかし続編のレビューと、紹介動画を見た率直な感想は。
ダンボールでLaboキットを作った意味は何?そして
子供の創造力を奪ってない?
ダンボールで遊ぶ。それは子供の特権とも言える遊びだろう。
考え工夫を凝らし、あるいは秘密基地、あるいは武器やテーブル様々なモノに変わるダンボール。それを与えられた「キット」という形にしてしまっている。
単に与えられる「モノ」に、創造力を養う力は全くない。
ダンボールや紙の皿やコップを加工し、切り取った画用紙に絵を描き、クリップや磁石、糸やストロー、ビー玉を使って、間違いながら、工夫しながら創る。
この遊びに「できるかな」のノッポさんや「つくってあそぼ」のワクワクさん要素は全くないのだ。
また、本物に触れさせたければ、安物でも(音楽用)キーボードを買ったり、千円の釣りセットを持って、休みの日に家族で防波堤に行けば良い。そちらの方が、子供の見識や体験、経験を100倍高めるだろう。
否定はしない
本物に触れる入り口になってくれる事を願うばかりです。
現代社会において、直接ネイチャー体験を行うことは難しく、費用もかかる場合が多いのがほとんどです。そんな中で、擬似体験がVRで出来て、入り口になる事はいい事だとは思います。
しかし、わざわざダンボールという素材を使い、完成形が決まってそこから入る遊具というものは
一体、誰の為の何の為のゲームなの?
やはりそう思わずにはいられません。
体験や経験の少ない現代っ子。全部が全部そうだとはいいませんが、
春先(4/20)に2キット発売される模様ですが、これまた「作れない」と狩り出される親が大量生産されるんでしょうね。
実際、発売されたときのメディアレビューはどーなるのかなー?などと思った今日の雑記でした(´・ω・`)まる。